「虚偽の全否定」 クリシュナムルティの生涯はこのことばに象徴されよう。

            クリシュナムルティ   
                                         大野純一

「虚偽の全否定」 クリシュナムルティの生涯はこのことばに象徴されよう。

そして彼の呼びかけは、世界の行く末を憂慮する人士の心をとらえ、彼を理解しようとする動きは随所に育ちつつある。

ジッドゥ・クリシュナムルティの思想を要約することは容易 ではない。なぜなら、その生涯が今年(一九八六年) 二月にカリ フォルニアで幕を降ろすまでに九〇歳の長きにおよんだからだ けでなく、まさに彼の精神の中核に一切の体系化方法・方式 化の、そして、いまここに生きることを妨げ、生の硬化、結晶 化を招くような一切のもの、権威、順応、教導、怯懦、凡庸さ といったものの極端なまでの否定が厳として横たわっているか らである。 彼

の、いうなれば「虚偽の全否定」の生涯――とくにわれわ れにとって意義をもってくるものとしてのは、世界の宗教 史に特異な足跡を残してきた神智学協会が、世界教師〉たるク リシュナムルティを長として、その教えを世界に広めるべく、 一九一一年に結成した <星の教団〉を彼みずから解散してしま った一九二九年にはじまったといえよう。この際に行われた有 名な解散宣言は、人類の精神史上きわめて刮目に値する出来事 の一つだったと思われる(「クリシュナムルティの瞑想録」 平河出版社附録資料参照)。解散宣言を行ったとき、彼は三四歳だった が、そこにいたる入り組んだ、しかしきわめて興味深い経緯に ついては「生と覚醒のコメンタリー』(春秋社) 第一巻、第二巻 の「解説」としてやや詳しく紹介しておいたので参照された い。さしあたりここでは、彼の「解放」と題する、一九二七年、 すなわち <星の教団>の二年前に行われた講話を紹介しておく。 なぜならそこにはすでに、彼がその後一貫して追求してきたテ ーマが力強く語られているからである。

諸君はわたしに頼ることなく、みずから解放を遂げねば ならない。ここ数ヶ月間、わたしは自由になるべく苦 闘をつづけてきた友人たちから、自分の書物から、そ して組織から。諸君もまた同様に、自由を目指さねばなら ない。そうするためには、諸君は内面の絶えざる動揺や、 逆巻きつづける波に耐えねばなるまい。自分の前に鏡を置 きつづけて、もしも自分自身の理想にふさわしからぬものを見出したら、それを変えねばならない。わたしを権威に してはならない。もしも諸君にとってわたしが必要物とな れば、わたしがいなくなったとき諸君はどうされるのか? ・わたしはドアのようなものであり、それをとおり抜け、 その向こうの解放を実現するかどうかは諸君自身の仕事で ある。……真理は夜盗のように向こうからやって来る、諸 君がまったく思いもよらないときに。わたしは新たな言語 を創出したい。しかし、それができないので、わたしは諸 君の古い用語や概念を打破したいと思う。 何人も、諸君に 解放をもたらすことはできない。諸君各々の内部に、諸君 はそれを見出さねばならないのだ······(傍点大野)

この自己解放への呼びかけは、解散宣言から第二次世界大戦 やベトナム戦争をへて今年二月の死にいたる六〇年余りの長き にわたって、文字どおり世界各地を舞台にして、超人的なエネ ルギーでもってたゆみなくつづけられてきた。しかし、聴衆各 人に厳しい自己認識を迫る彼の訴えは、往々にして敬遠される か、あるいはうんざりするような誤解を受けるか、または体よ く黙殺されてきたようである。なぜなら、ヘンリー・ミラーが そのクリシュナムルティ論(『わが読書』新潮社)のなかでいみじ くも指摘しているように、「人々はわかりやすいことを承認する のを好まないものだ。サタンのあらゆる悪だくみよりも深いひ ねくれ根性から、人間はおのれの天賦の諸権利を認めることを 拒む何らかの仲介者を通じての解放、救済を要求する。 案内者、助言者、指導者、思想体系、儀式といったものを求めるのだ。おのれみずからの胸にあるはずの解答を外に探し求めるこの自己解放への呼びかけは、解散宣言から第二次世界大戦 やベトナム戦争をへて今年二月の死にいたる六〇年余りの長き にわたって、文字どおり世界各地を舞台にして、超人的なエネ ルギーでもってたゆみなくつづけられてきた。しかし、聴衆各 人に厳しい自己認識を迫る彼の訴えは、往々にして敬遠される か、あるいはうんざりするような誤解を受けるか、または体よ く黙殺されてきたようである。なぜなら、ヘンリー・ミラーが そのクリシュナムルティ論(『わが読書』新潮社)のなかでいみじ くも指摘しているように、「人々はわかりやすいことを承認する のを好まないものだ。サタンのあらゆる悪だくみよりも深いひ ねくれ根性から、人間はおのれの天賦の諸権利を認めることを 拒む何らかの仲介者を通じての解放、救済を要求する。 案 内者、助言者、指導者、思想体系、儀式といったものを求める

のだ。おのれみずからの胸にあるはずの解答を外に探し求める

のだ。知恵よりも学識を、別の術よりも力を、上に置く。 し 何よりも人間はまず第一に世の中が解放されねばな と称して、おのれみずからの解放のために働くことを拒む」 からである 。

クリシュナムルティほど、世のいわゆる「改革」を手厳しく 否定してきた者はまれである。もし乗りあわせた舟にたくさん 穴が開いていて、急速に沈みつつあることに気づいたら、乗客 はどうするだろうか? いや、まだそれほどすっかり傷んでは いない、何とか修理しつづけねばならないといって、他人にも 協力を求める者、それが社会改革者である。彼は舟のあちらこ ちらを修繕して、何とか沈まないようにと、いわゆるパッチワ ークを施す。これに対してクリシュナムルティは、わたしはそ んな穴だらけの舟から飛び出すだろうという。なぜなら現代社 会という、われわれが乗り合わせているこの舟は、野心、羨望、 不満、権勢、暴力、イデオロギー、ドグマ、信念といった、 人と人とを離させ、およそ愛や優しさの開花を妨げるような ものばかりを材料にしてできているから、このパターン内、こ 泥舟内での変化は、いかに大規模で革命的に見えようと、少 しも真の革命をもたらすことができないからである。いや、む しろそれは、平和な関係をもたらすものとしての真の革命、わ れわれ一人ひとりの内なる悟り、人類の一員としての覚醒をも たらす根源的変革としての真の革命をもたらすのを妨げている という点で、かえって根深い障害なのである。この点を理解す ることは容易ではない。なぜなら改革者たちは、みずからの活 動を通じて々には自己満足を求めている場合でも、表面的 にはひたすら利他的行為に進していると錯覚していることが

多いからである。

六〇年余りにわたってクリシュナムルティが虚偽を否定しつ づけ、人々をして覚醒へと促しつづけてきた理由は実に明快で ある。 あるがままの自分を見ることによって自己変革を遂げ、 これまでのような生き方、内なるむなしさのゆえに異常なまで に外部的、感覚的な物事に依存する生き方ときっぱり手を切り、 内に豊かな人間へと成長することによって、不必要な金銭的、 財産的所有への依存を自然に少なくして生きうるような人間を 一人でも多く増やす以外に、人類に活路はないからである。そ のような、いわば真のシンプルライフを具現した円満な人間 が出現して、身をもってそのような生の芳香を周囲に放つよう になるにつれて、内なる貧困のゆえに外に貪欲な人間たちの手 で破局へと向かいつつある世界のそこかしこに、魂の解放区が 出現することであろう。そのとき人類は、自分がいかに暗黒の うちに生きてきたかを知って、一驚を喫することであろう。

自己解放への無私なる、烈々たるクリシュナムルティの呼びかけは、古くはオルダス・ハクスレーから近くはデヴィッド・ ボームまで、世界の行く末を憂慮する人士の心をとらえてきた。 そしてクリシュナムルティ理解への動きは随所に彷彿として育 ちつつあり、たとえばケン・ウィルバーはみずからクリシュナ ムルティ理解の成果を著作中に積極的に取り入れている。また ボームは、クリシュナムルティが執拗なまでに指摘しつづけて きた思考の性質に関する洞察を積極的に評価している。世界の 破局の予兆がいよいよ増しつつある現在にいたって、ようやく クリシュナムルティという稀有の覚者の存在を通じて開示されつづけてきた真理が、心ある人々の視野に入ってきたようである。

クリシュナムルティは、ハレー彗星とともに去って行ったが、 彼がわれわれに突きつけていった課題―自己解放をみず からの身に引き受けることが、いよいよますます緊急事になり つつあるようである。

田中三彦+吉福伸逸 監修  C➕F  コミュニケーションズ編   『 グローバル・トレンド   ー ポスト産業化社会を實践する    人間・科学・文化ののガイドブック 』TBSブリタニカ 1986年

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