Stairway to Heaven

天国への階段

 

 

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No Boundary

 

エーリッヒ・フロムは
とても美しい本を書いている。
『自由からの逃走』だ。
このタイトルはとても意義深い。
自由からの逃走…
彼は正しい
…誰もが自由から
逃れようとしている。

例えば愛は自由だが、
結婚はそうではない。
一度愛を知ったら、
マインドは早速、
自由から逃げ出そうとして
結婚へと動いて行こうとするだろう。
愛は未踏の地…
未知なるものだ。

それがどこに導くのか、
誰も知らない。
自由であることは無限だ。
…そこで人は恐怖を感じる。
だからあなたは
鳥かごを作り、
境界線を引き、
その中で生きる。

そうなれば
あなたがどこにいるのか、
そしてどこに行こうと
しているのかがわかる。
あなたは自由であることから
逃げ出したのだ。

あらん限りの方法で
私たちは逃げ出そうとする。
なぜだろう?
なぜなら
自由であることは
とても全面的で、
あまりに巨大だからだ。

私たちはとても小さいので、
それに面と向かうことができない。
それには耐えられない。
もしあなたが一人きりなら、
あなたは自由だ。

だがもし、
他の誰かと一緒だったら、
もしあなたが群衆の中にいたら、
自由は失われる。

だからあらゆる人々が
一人でいることから
逃げようとする。
誰も一人ぼっちで
そして自由でいたいとは
思わない。

人は仲間を
持たなくてはならない。
なぜなら仲間とは、
より少ない自由と
より多くの隷属を
意味するからだ。

デイヴィッド・リースマンは
彼の書いた本『孤独な群衆』の中で
この現象について語っている。

あらゆる人々が、
群衆の中へ逃げ込む。
なぜなら
孤独であることの痛みを
深く感じることは
自分自身への恐怖、
自分自身を受け入れることの恐怖を
感じることだからだ。

あらゆる人々が
同じことをしている。
だからそれは大きな群衆に
なってしまった。
そしてその中にいる
全ての人が孤独だ。

自分自身で生きていけない人は
他の誰とも
生きて行くことはできない。

自分自身を愛せない人は、
仲間と一緒にいて
楽しめない人は、
他の誰とも
深い交わりを持つことは
できないだろう。

もしあなたが
自分自身に退屈したら、
他人と一緒にいても
そこに退屈を作り出すだろう。
だから群衆ではあっても、
それは孤独な群衆なのだ。

─Osho

 

 

 

 

贅沢に慣れ、享楽になじむと、根性が卑しくなる。
多くを願うと、欲望にとらわれる。
ホンモノは至ってシンプルである。
小さく、ゆっくりと、持続可能性のある
簡素な暮らしと高尚な思考で
あるがままの今を生きる。

 

 

天壽倫

 

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