ヴィジョン

 

私たちは、総ての人、全ての存在が健やかで幸せに生かされる文明を築きます。

① 総ての人の健 (スコヤカ) と幸せ
② 凡ての存在の尊厳が充實 (ジュウジツ)・生長・進化して、全ての宇宙存在が相互に生かし活かし合うこと

私たちはここに立脚しています。それは、縄文叡智文明に於いて、地球生命体が総ての瞬間、そして永遠に豊穣を深め高めていくプロセスに終始する『天寿倫』を描くことです。

それは、

A. 永遠生命文明=生物多様性の繁栄と発展
B. 無限寿命=天寿=生老病死の労苦からの解放

を通じて遂げられます。そして、自己實現を経て、自我の放棄、つまり自我超越に拠り成就します。

人類の文明の目的、そして過程もここに集約されます。政治・経済・社会・芸術・宗教・教育=文明が、① ②と A. B. の達成の上に築かれるのです。

弥生以降の近代国家・近代文明は、『政治・経済・社会・芸術・宗教・教育=文明』が、石油・核・鉄・銅などの既得権益を護り、人間性・靈性・精神性の充實とは眞逆 (マギャク) の物質的・表層的欲求の虜 (トリコ) に囚 (トラ) われ矮小化された生き甲斐に地球上の大部分が支配されています。

 

 

温帯、亜熱帯、熱帯モンスーン地域においては、暮らしに必要なモノ・ 亊 の99%を、豊穣な山を基本に半径2キロの山・川・里・海の幸を基盤にして、衣食住養生を極めこの中で自給自足するのです。肥沃なチベット・ヒマラヤ・アマゾン等地域では寒冷乾燥地域の供給も地球生命体全体のレベルで補完し合うのです。

そして、その『養生暮らし』自体に学校・病院・交通の近代国家行政サービス不要で国家区分が無く、司法・立法・行政不要の地球生命体が共存するワンネス世界が實現するのです。

武器・兵器・軍隊はもちろん、警察・国家・石油・核そして縄文以外および弥生以降の意識・行動・技術・機械も極一部 1%以下に収まるでしょう。生物多様性繁栄の妨 (サマタ) げとなるものはことごとく手放すのです。

その暁には、一切の労苦、不要な殺生=アニマルライツ (動物の権利) を犯すことなく、感情に翻弄 (ホンロウ) されることもなくなります。結果として、地球上から弱肉強食等あらゆる殺戮 (サツリク) が消滅し、大調和の安寧 (アンネイ) が訪れて、静謐 (セイヒツ) な宇宙が拓かれるのです。

格差がなく、自由・平等・博愛が基本ですから、対立・諍 (イサカ) い・虐 (イジ) めがない。犯罪や戦争という概念すら消滅・昇華した眞心だけの世界に入ります。それが人間の天寿の倫 (ミチ)『天寿倫 (テンジュリン)』──無限進化ですから無限寿命・永遠生命の文明です。それが「眞」の『普通』、普遍の通 (ミチ)「本当」の『ふつう』なのです。

最後になりましたが、有史という人類の歴史 (文科省の検定教科書)では、弥生以降の6500年前から歴史は始まる感覚 (印象)──縄文は数行で通り過ぎ、未開・原始の時代として扱われ、近代・現代はその未開・原始から発展・発達して想像を絶するほど進化した、便利でこの上ない科学の粋を凝らした薔薇色の未来を先取りしつつある今──というイメージに滿ち溢 (アフ) れる『常識』が、脳の深部にまで焼き付いています。

近代化の進行とともに苦役・労苦は減少し、寿命も健康も幸福も増幅しているという暗黙の了解の基、近代文明を只管 (ヒタスラ) 肯定的に描いています。その結果として、未開の原始時代のたいへん不便で苦労が多く危険に満ちて不衛生で、医療も病院も無いため病原菌による感染症・風土病等に因 (ヨ) って、寿命も短いというイメージなのでしょうか。

さらに大亊なのは、『縄文文明』はどうだったかです。

縄文の研究の結果は、理想と眞理に基づく『無限寿命』と『永遠生命』を『基本と頂天』とする『縄文叡智文明』と呼ぶに相応 (フサワシイ)しい、『自由・平等・博愛』の格差ゼロ・殺戮ゼロ・生物多様性無限 + 永遠繁栄の『永遠生命文明』なのです。少なくとも1万年以上5万から10万年以上という研究者も存在しており、その基本を基に生長・充實・進化を保てば、永遠に続く文明であることがはっきりしています。

当方がすることは、縄文叡智文明を再び開花させることだけです。

 

  

「天寿倫」養生メニュー

① 衣 養生
② 食 養生
③ 住 養生
④ 眞心 養生
⑤ 靈性 養生
⑥ 性と愛と慈悲 養生
⑦ 五感に拠る 養生
⑧ 社会心理学に拠る 養生
⑨ OSHO の 養生
⑩ 魔術に拠る 養生

*この養生メニューは、「天壽倫」を掲げる辻徹哉と「天寿の魔法」を掲げるラーダちひろのエッセンスを融合したものです。

 

天壽倫

 

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