アメリカ先住民の伝統医学、東洋医学などを研究する一方、 心身相関から発展した「精神と物質の相関関係」の研究に着手 したオイル

IRVING OYLE

アーヴィング・オイル

                               上野圭一

病気とは医者が治すものではない。患者がみずから治していくものなのだ。 ホリスティック・ヘルスの提唱者、オイル博士が訴える「医の心」とは何か?

ニューヨーク州ロングアイランドのファーミンデイル市で典 型的な白人ミドルクラスの家庭を相手に二〇年以上にわたって 開業していたオイル医師はある日、考えるところがあって診療 室をたたみ、マンハッタンはロワー・イーストサイドのスラム街 に引っ越して、貧しい黒人やプエルトルコ人、ヒッピーなどを 相手に治療をはじめた。一九六八年のことである。「わたしはス ペイン語もヒッピー語もしゃべれたから苦労はなかったよ」、背 が高く、禿あがった、快活な中年医師オイルはこともなげにそ う語る。 ティモシー・リアリーの煽動に応えて、多くの若者が チューン・イン(新しい時代の気配を敏感に感じ、波長を合わせ る)、ターン・オン(ドラッグで新しい意識に目覚める)、ドロップ・ アウト(大学や会社をやめてライフスタイルを変える)したこの時 代、オイルのように中年でドロップアウトした人も少なくな かったのである。ともあれ、オイルはそれ以来「ニューエイジ・ ドクター」と呼ばれるようになった。

ドクターとはいっても、その診療室は空き家 だった個人商店店先で、ペンキを塗り変えても殺風景なので旅行会社のポス ターなどが壁に貼ってあるという始末だった。当時の患者の一 人だったアビー・ホフマンにいわせると「どう見てもマザーフ アッカーの隠れ家」というところだったらしい。そこがニュー ヨーク市の「フリークリニック」の第一号で、その後、フリー クリニックは全国の大都市および大学都市に急速な勢いで増え つづける。 をもたらしたきっかけは二週間のメキシコ旅

中年医師の変身 行だ。豊かな開業医の生活に多少飽きていたオイルは、仲間の 医師の自家用飛行機に乗って、バケーションのつもりでメキシ コはチワワ州シソグイチという山奥に行った。そこの洞窟に住 先住民に現代医学の恩恵を施すというのが建前の休暇旅行だ った。そこで彼は「生きているクロマニヨン」たちから、現代 医学には完全に欠如している「医の心」を教わる。つまり、超 自然の力を確信してそれに身をまかせること、死を敵視してい たずらに恐れず「この世」から「あの世」への変容として死を受容することなどである。いくつかの「奇跡的治癒」の症例も 目撃したオイルは、わずか二週間の旅行で医学観を根底からく つがえされる経験をしたのである。

その後、ユカタン半島のマヤ族をはじめメキシコ各地の先住 民を訪ね、その医療を研究したオイルは、次の結論に達する。 使用する方法が何であれ、治療家が自分の治療法、あるいは治 儀式を完全に確信し、患者がその治療家の技量を完全に信頼 したときに治癒現象が起こる。もし、どちらか、あるいは双方 にその確信が欠けるとき、治癒とは逆の現象が起こる。 オイル は治癒における信念の役割の重要性にめざめ、その研究の第一 歩として、向精神性薬物による障害(いわゆる麻薬中毒)の治療 の場としてスラム街を選んだというわけだったのだ。

オイルはスタンリー・クリップナーと一緒にニューヨークで 「宗教におけるサイケデリック体験」などというシンポジウム くりかえすうちに、クリップナーに誘われてカリフォルニア に移ることになった。そして、ポリーナス市に「ヘッドランド・ ヒーリング・サービス」を開いた(一九七〇年)。そのころ、オイ ルはショショーニ族の呪医、ローリング・サンダーに会う。 呪 は初めて会う西洋医とすぐに意気投合し、「ヘッドランド」の よき助言者となる。 二人に共通していたのは「自分の家へ の完全な信頼」という治療マジックだったのである。

アメリカ先住民の伝統医学、東洋医学などを研究する一方、 心身相関から発展した「精神と物質の相関関係」の研究に着手 したオイルは、ソ連の超常科学者会議に顔を出すなど、サイ科 学の分野でも国際的に活躍するようになった。 そして、患者教 軽な文体で著作受容することなどである。いくつかの「奇跡的治癒」の症例も 目撃したオイルは、わずか二週間の旅行で医学観を根底からく つがえされる経験をしたのである。

その後、ユカタン半島のマヤ族をはじめメキシコ各地の先住 民を訪ね、その医療を研究したオイルは、次の結論に達する。 使用する方法が何であれ、治療家が自分の治療法、あるいは治 儀式を完全に確信し、患者がその治療家の技量を完全に信頼 したときに治癒現象が起こる。もし、どちらか、あるいは双方 にその確信が欠けるとき、治癒とは逆の現象が起こる。 オイル は治癒における信念の役割の重要性にめざめ、その研究の第一 歩として、向精神性薬物による障害(いわゆる麻薬中毒)の治療 の場としてスラム街を選んだというわけだったのだ。

オイルはスタンリー・クリップナーと一緒にニューヨークで 「宗教におけるサイケデリック体験」などというシンポジウム くりかえすうちに、クリップナーに誘われてカリフォルニア に移ることになった。そして、ポリーナス市に「ヘッドランド・ ヒーリング・サービス」を開いた(一九七〇年)。そのころ、オイ ルはショショーニ族の呪医、ローリング・サンダーに会う。 呪 は初めて会う西洋医とすぐに意気投合し、「ヘッドランド」の よき助言者となる。 二人に共通していたのは「自分の家へ の完全な信頼」という治療マジックだったのである。

アメリカ先住民の伝統医学、東洋医学などを研究する一方、 心身相関から発展した「精神と物質の相関関係」の研究に着手 したオイルは、ソ連の超常科学者会議に顔を出すなど、サイ科 学の分野でも国際的に活躍するようになった。 そして、患者教育、医師教育のためのセミナーを開き軽妙洒脱な文体で著作をし、カリフォルニア大学サンタクルス校で教鞭をとるように もなった。 中年ドロップアウト医師は積年の欲求不満を一気 に晴らすかのように見事な変身を遂げ、自由に飛翔しつづける のである。

   さてここで、「ヘッドランド」の治療内容を見てみよう。 <草 の根医療サービス〉をモットーとする同クリニックは現代西洋 医学の技法も採用しているが、外科手術室・X線検査室などは ない。製薬会社のセールスマンがもってくるような薬剤や文献 もない。それらの多くはいわゆる姑息療法・パッチワーク療法 のための鎮痛剤・鎮静剤・ストレス緩和剤・ホルモン剤などで、 治癒ではなく問題を先送りすることを目的とするものだからである。

ークで

そのかわり、患者みずからが症状の意味するところにめざめ、 内在する治癒力を発動させるような工夫、たとえばイメージ法 (自律訓練法・サイモントン療法など)、バイオフィードバック法 を中心に、生薬療法・ソノパンクチュア(高周波音波による鍼術 の応用)などを併用して、癌を含むさまざまな慢性疾患の治療に 成功している。もちろん、患者/治療家の十全な信頼がその基 礎であることはいうまでもない。
  人はすべて病気にかかるが、すべての人が等しく病気になる わけではない。病気の七〇パーセントは人口の特定の約三〇パ ーセントの人々に集中して起こっている。つまり、病気にかか りやすいタイプの人がいるということだ。また、病気にかかってもすぐ治る人と、なかなか治らず慢性化する人がいる。自分 では気づかなくても「治りたくない」人も以外に多い。そのあ たりの隠れた事実を明快に掘り起こしたホリスティック・ヘル
スの格好の入門書『ドクター・オイルの現代アメリカ健康学』 (日本教文社)をはじめ、オイルの著書は以下のとおりである。

“The Healing Mind” “Magic, mysticism, and Modern medicine” “Time, Space and the Mind”

P. 267~268

『グローバル・トレンド

― ポスト産業化社会を実践する

人間・科学・文化のガイドブック ー』

一九八六年一一月三〇日初版発行

監修 田中三彦/吉福伸逸

編著者C+Fコミュニケーションズ

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