愛とは
自分の愛する相手を通して
神を垣間見ることは可能だ
愛が神を見ることのできる眼を与えてくれる
愛こそ神が現われる扉なのだ
だから、すべてを愛したら
神はすべてのもののなかに見える
愛はけっして所有したりしない
なぜならば、愛は
愛が全面的な自由においてのみ可能だということを
知っているからだ
相手が全面的に自由なときはじめて
愛が可能となる
愛とは、全面的な自由のもとに起こるハプニングなのだ
愛はけっしてものごとを変えようとはしない
しかし、それは知らず知らずに
信じられないほどものごとを変えてしまう
もしあなたに愛することができたならば
それがひとつの革命をもたらすだろう
しかも、その革命はあまりにも静かにやって来るので
その足音すら聞こえない
必要なのはただ沈黙のみ
沈黙することこそすべてだ
沈黙というのは会話の不在をさすのではない
沈黙とは思考の不在を意味する
心が静かになったとき
それは永遠なるものと接合する
– Osho
内に引きこもるほど、外に開ける。
完結することで、底が抜ける。
自分と他人を分けられないのは、
他人とは自分だからである。
愛とは、つまりこういうことである。
– リマーク